伯洲のぼやき |
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以前、前田先生から、四柱推命は、特殊な学問で、運命予知には、的中率が、高いということを聞いていたのだが、まさか、自分が、鑑定士として、色んな人の運命鑑定するなかで、何気なく、松岡利勝農林大臣や、ZARDの坂井 泉水氏の命式を起こすなかで、本当に信じられないことが、起きているのは、新鮮な驚きだった。余りに、偶然にしては、蓋然性が、高すぎて、解釈としての是非を問いたいと感じているので、この二件の事案にかんしては、アップロードすることにした。まさに、この二件は、松岡大臣は、自殺として、坂井氏については、事故死になっているが、運命学上では、寿命としか、いいようが、ない。全く、論理的な結果は、自分自身も驚くべき結果になってしまっているので、驚いている。 坂井 泉水氏の場合 私は、彼女の生年月日をインターネットサイトから、持ってきたので、正直なところ、生年月日を 松岡 利勝 農林大臣の場合 松岡大臣も、生年月日をインターネットから、拝借はしているので、それが、誤りだったら、自己の論理的な展開が、希薄になるのを前置きしておきたい。松岡大臣の生年月日は、1945年2月5日生まれだから、まず、カバラでは、どうなのかということを、前置きしながら、何故、5月28日でないといけないのかということを目的とします。これも、運命学上の寿命論をとっています。それは、後で、述べます。カバラでは、運命数が、8になり、月曜日生まれです。カバラでは、8は、支配数ともいいますし、又、この数を持つ人は、限界を上る登山者のように、とにかく、頑張りやさんが、多いのが、特徴的な数です。しかも、月曜日生まれだから、義侠心が、強く、正に、男なら、それが、強くでます。俗に言う、親分肌的な要素を数多く、持っている人でしょう。四柱推命では、日干が、乙巳のひとだから、非常に、真面目だが、粘り弱くなります。だから、松岡大臣の場合は、運命数に8をもっているから、調和されていると考えますが、しかし、日干にやはり、巳をもっているのは、今年の関係では、やはり、亥―巳の沖になり、自分にとつては、大変、精神的にも、肉体的にも、大変、きつかったのだと思います。松岡大臣の場合は、財星が、過多になっており、元明は、正財ですが、相当、金の出入りが、激しかったと思います。それが、誤解を生むきっかけでしょう。それと、肉体的には、癌になる場合も多いいと思いました。もしかして、既に、癌に羅漢していたのでは、ないでしょうか。これは、想像の域をでませんが、命式で、やたらに、戊が、目立ちます。それと、木も多いので、ノイローゼや、神経症もかかりやすいようです。ただ、生まれは、兄弟の多い中で、育ち、政治家になることは、宿命づくられていました。このような命式は、農林省出身の官僚としては、大事なことです。土が、多寡して、リーダシップも取れるのなら、農林大臣も適任でしょう。さて、大運は、一年運ですから、0~1年が、初年運になります。それから、1~11、11~21になります。そうすると、41~51の間で、人生の第六派が、きますので、ここが、天戦地沖といって、人生の折り返し地点になります。ここでの、世代交代が、必要だったと思います。今年は、人生の第8波である、61~71を生きています。大運は、辛未で、通変星は、偏官です。本来的には、巳、午、未で、3号開局して、運勢的には、大変いいのだけれど、天戦地沖の第六派を超えれば、命が、危ういといっておいた方がいいでしょう。それは、入院している人の運命鑑定にも、もちえますが、高齢になると、危ういといっておきましょう。まして、初年運が、1年で、早頭の場合は、大変なご苦労が、あったのだなあと、思います。今までのことをまとめると、まず、日干が、乙巳で、年運が、丁亥だから、亥-巳の沖になることと、元明が、正財ということ。しかも、大運上は、人生の第8波を生きていることは、重要なことなので、再度、記載しました。そして、5月28日をむかえるのですけれど、この5月は、乙巳となり、年運との間では、沖の関係になります。即ち、亥―巳の沖の関係が、認められるということです。だから、ここでも、ダブル沖の関係になります。そして、自分自身の元明は正財です。28日は、松岡大臣にとっては、印綬になります。まさに、正財が、命の星の印綬に向かっていて、やっつけますから、寿命になります。だから、秘書やSPが、いても、どうしようもならないのです。何故なら、寿命だからです。だから、松岡大臣は、天命を終えたのです。まさに、運命学の成せる術かもしれません。だから、遺族の方は、天命を全うしたと考えた方が心を開いて、松岡大臣の死を迎えやすいと思います。とにかく、魔が入ったとした考えにくいのです。そう考えないと、遺族的な感情は、やりきれないでしょう。まして、これを機会に任命責任うんぬんは、同じ日本人として、品格に欠ける様なことは、するべきでないと思います。世界中が、注視している中で、日本人の品格としての武士の情けが、あるなら、なお更でしょう。昔、川中島の合戦で、上杉 謙信と武田 信玄が、戦っていますが、謙信が、武田領に、塩を送っています。正に、敵に塩を送る故事です。昔の日本人には、これが、あったが、今の日本人には、そんなものもないのかでは、同じ日本人としての品性の問題になります。まして、教育再生を自民・民主両党が、掲げるなら、この問題は、重要です。正に、道義上の問題になるからです。まさに、民族意識が、問われているのです。松岡大臣は、寿命でいいではないかと心から、思うしだいです。遺族の方には、ご冥福をお祈りいたします。それが、日本人として、潔い、身の処し方と思っています。 戒名の不思議 これは、わが父親の生前の遺訓というか、体得したというか、戒名は、仏教では、寺の住職が、つけるようであるが、最近、やたらに、院号をつけている方が、多い中で、これは、不思議なことなのだが、この世とあの世は、切断するべきである。だから、現世の物は、あの世にのこしては、いけないということです。仏になるということは、ある意味で、現世のものからの終焉を意味して、あの世にいくからである。それなのに、戒名に、現世での、所謂、姓名の一字を使うのが、多いのは、なにゆえだろうか。確かに、そちらの方が、楽につけることが、できるだろうけれど、現世の物を橋渡ししては、ならない立場からすると、奇妙な感じが、するのだが、だから、俗名の一字でも、 |